日本の塩、歴史・製法・供給・使用量・文化など
昔は貴重だった「塩」
まわりを海で囲まれた島国日本、昔から塩は多く流通していたようなイメージがありますが、塩は大変貴重な物でした。
貴重だったという証拠に、日本全国には、塩にまつわる物語や地名がたくさん有ります。各地に塩を運ぶための道「塩の道」が張り巡らされ、海の産物と山の産物を結ぶ暮らしの道となりました。たとえは、長野県の塩尻といった地名は、山間部では手に入らない塩の流通の尻(太平洋側の塩と日本海側の塩が出会う終着点)として名付けられた名前だそうです。
また、塩の産地としては瀬戸内が圧倒的に有名ですが、関東地方にも製塩を連想する地名が数多く見受けられます。東京湾周辺の千葉県・東京都・神奈川県に多くある塩浜という地名がその1つで、「塩浜」とは塩づくりに使う砂浜(塩田)のことで、江戸時代には生活必需品として塩が盛んに生産されていました。
それでは、日本の塩づくりの始まりはいつごろからでしょうか? 海から取れる魚貝類には当然塩味が付いていますし、動物の肉にも塩分が含まれています。狩猟生活をおくっている限り、体はそれほど塩を必要としません。 その事から、生活様式が狩猟生活から稲作をはじめとした農耕生活に変わり、穀物主体の食生活に変化した縄文時代の終わり頃から塩づくりが始まったのではないかと言われています。
人間の身体は、余分になったカリウムを体外に出す時、ナトリウムを必要とします。すると次第に 身体はナトリウム不足となり、自然に塩(塩化ナトリウム)を要求するようになります。
牛、馬、羊などの草食動物が塩を要求するのもこのためです。
最初の製塩は、海藻を燃やし後に残った灰を塩味として使っていました。もちろん、灰なので苦みもあったでしょうし、色も今の様に白くはなく灰色だったにちがいありません。
弥生時代になると、海藻を焼かず太陽で乾燥し、そこに海水をかけることにより濃い海水を取り出して、土器で煮詰める方法(藻塩焼き)が発達しました。
この藻塩焼きに使われた土器は全国各地の海辺に近い遺跡から多数見つかっており、褐色を帯びた塩だったといわれています。この様子は万葉集にも歌われ、最近ではご存知の方も多いと思いますが、この方法を模して作られた藻塩がたくさん販売されています(塩なび検索:藻塩)。
この藻塩焼きを紀元として、日本の製塩が始まりました、四方海に囲まれた日本は簡単に塩が取れると思いがちですが岩塩として塩が取れる国と比べ、海水を煮詰め、精製しなければ出来ず、時間も手間もかかるため色々と工夫し塩つくりが始まりました。
今では、戦後に開発されたイオン交換膜を使った最新鋭の方法で、クリーンでまっしろな塩が作られていますが、ここに至るまでの過程は、塩の結晶のごとく、努力の結晶だったのではないでしょうか?
まわりを海で囲まれた島国日本、昔から塩は多く流通していたようなイメージがありますが、塩は大変貴重な物でした。
貴重だったという証拠に、日本全国には、塩にまつわる物語や地名がたくさん有ります。各地に塩を運ぶための道「塩の道」が張り巡らされ、海の産物と山の産物を結ぶ暮らしの道となりました。たとえは、長野県の塩尻といった地名は、山間部では手に入らない塩の流通の尻(太平洋側の塩と日本海側の塩が出会う終着点)として名付けられた名前だそうです。
また、塩の産地としては瀬戸内が圧倒的に有名ですが、関東地方にも製塩を連想する地名が数多く見受けられます。東京湾周辺の千葉県・東京都・神奈川県に多くある塩浜という地名がその1つで、「塩浜」とは塩づくりに使う砂浜(塩田)のことで、江戸時代には生活必需品として塩が盛んに生産されていました。
藻塩
それでは、日本の塩づくりの始まりはいつごろからでしょうか? 海から取れる魚貝類には当然塩味が付いていますし、動物の肉にも塩分が含まれています。狩猟生活をおくっている限り、体はそれほど塩を必要としません。 その事から、生活様式が狩猟生活から稲作をはじめとした農耕生活に変わり、穀物主体の食生活に変化した縄文時代の終わり頃から塩づくりが始まったのではないかと言われています。
能登の海
人間の身体は、余分になったカリウムを体外に出す時、ナトリウムを必要とします。すると次第に 身体はナトリウム不足となり、自然に塩(塩化ナトリウム)を要求するようになります。
牛、馬、羊などの草食動物が塩を要求するのもこのためです。
最初の製塩は、海藻を燃やし後に残った灰を塩味として使っていました。もちろん、灰なので苦みもあったでしょうし、色も今の様に白くはなく灰色だったにちがいありません。
弥生時代になると、海藻を焼かず太陽で乾燥し、そこに海水をかけることにより濃い海水を取り出して、土器で煮詰める方法(藻塩焼き)が発達しました。
この藻塩焼きに使われた土器は全国各地の海辺に近い遺跡から多数見つかっており、褐色を帯びた塩だったといわれています。この様子は万葉集にも歌われ、最近ではご存知の方も多いと思いますが、この方法を模して作られた藻塩がたくさん販売されています(塩なび検索:藻塩)。
能登半島輪島塩の塩田
この藻塩焼きを紀元として、日本の製塩が始まりました、四方海に囲まれた日本は簡単に塩が取れると思いがちですが岩塩として塩が取れる国と比べ、海水を煮詰め、精製しなければ出来ず、時間も手間もかかるため色々と工夫し塩つくりが始まりました。
今では、戦後に開発されたイオン交換膜を使った最新鋭の方法で、クリーンでまっしろな塩が作られていますが、ここに至るまでの過程は、塩の結晶のごとく、努力の結晶だったのではないでしょうか?
能登半島 揚げ浜式製塩
藻塩
能登の海
能登半島輪島塩の塩田
能登半島 揚げ浜式製塩